ローカルニュースはいかが? 直川村
客観に徹した目で見つめ直そうと・・・
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日本占領下のオランダ領東インドの記録展 2000・9・24・Sun/臼杵市/臼杵市民会館

 日蘭交流四〇〇周年事業で様々なイベントの催されている臼杵市で、
今(10月1日まで)、太平洋戦争の頃のインドネシア(当時はオランダ領 東インドと言いました)の記録展が行われております。
 長崎や東京都で開催を断られて新聞を賑わせたこの展示会、果たして
どの様なものなのか? 見に行って参りました。

 開催場所の臼杵市民会館は、臼杵市役所近くの緑色の建物。入り口を
潜ると、いかにも交流四〇〇周年らしく、かのリーフデ号の模型が出迎え
てくれました。(ちなみに、この市民会館、オランダ皇太子殿下が少々の
御休息をなさったところでもあります)

 新聞で騒がれたものであると言うような印象は全くなく、こぢんまりとした 小ホールの中には、淡々と客観に徹した筆致で書かれた案内板が、ゆっくり と訪れた人々を、当時のインドネシアへと誘っておりました。

 日本、オランダ、インドネシア。
 当時の状況は、とても一言では語れない複雑なものです。
 日本とオランダ両国の間には、まさに今祭典が執り行われているように、 戦国時代以来、四〇〇年にわたる友誼が存在しました。にもかかわらず、 オランダはABCD包囲網に参加して日本への経済圧迫に荷担、また日本 はオランダ本国がナチスドイツに占領された事を奇貨として、その植民地 であったインドネシアへ進軍、たった一週間でオランダ植民地軍を降伏させ て、インドネシアを占領したのでありました。当時の歴史状況であったとは いえ、お互いに長年の友誼を裏切る行為であったといえるでしょう。
 当時インドネシアにいたオランダ人は収容所暮らしを余儀なくされ、次第 に日本の敗色が濃くなる戦況下で待遇も悪化、数多くの犠牲者を出した のでありました。更に日本の降伏後も、彼らは祖国独立を目指して各地で 蜂起したインドネシア民族活動家の脅威にさらされ、結局はイギリス統治の 元で収容所に居続けねばならぬと言う悲惨な境遇となったのでした。
 その為かどうかは定かではありませんが、当時の戦犯を裁く軍事法廷で
最も多くの死刑判決を出し、恩赦もほとんどない苛烈な態度を取ったのは、
他ならぬオランダであったのだそうです。

 インドネシアの人民から見れば、日本軍の侵攻は、当初は長年のオランダ 圧政からの解放でありました。公用語もなく、オランダから収奪され続ける だけの歴史に終止符が打たれ、アジア人によるアジア人の同胞の解放が 為される……と、つかの間の喜びがあったようです。
 しかし、日本とインドネシアの関係にも、やがて陰が落ちてきます。
 勝ち続けている間は、日本も「大東亜共栄圏」の文言を実行する能力
を持っておりました。しかし、戦局の悪化と共に、蜜月も終わりを告げます。
「戦争協力」として日本がインドネシアにかけた負担は、結局はオランダによる 植民地時代に勝るとも劣らぬ酷いものになって行ったのでした。
 「あいつらは、思っていたほどの天使じゃない!オランダ人のみならず、 日本人も我らの国から追い出せ!」
 あるインドネシア人は、そう叫んで民族活動家としての道を歩み始めたと 言うことです。

 この展示会では、その様な特殊な時代の状況を、それぞれの立場の様々な 人間たちの証言を集めて表現しようとしております。オランダ人が表現したもの で有りますが、自分たちの汚点を隠そうとも、正当化しようともしておりません。 不幸な歴史をあくまでも客観に徹した目で見つめ直そうとするその態度は、 好感が持てるとまでは言えずとも、十二分に納得行くものでありました。  何故、長崎市や東京都はこれを拒否したのでしょうか?

 この展示会は、10月1日まで行われております。

 
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